Planet Biology_人種依存的麺文化_目次
Planet Biology_人種依存的麺文化_⑩(最終話)
「いらっしゃ〜」
「おっちゃん!宙下ラーメンこってり1つくださーい!」
お店のドアを開けるなり、蘭子は開口一番で注文を唱えた。おっちゃんの挨拶も、自分たちの着席も済んでいないのに。
「はいよ〜」
いつものことで慣れているのか、宙下一品(堀之内店)の店長こと、おっちゃんは背中で返事をしてラーメンを作り始めた。
自分はそこまで常連でもないので、席に付いてメニューを見てから注文しよう。そそくさとカウンターの1番端に座った蘭子を追いかけ、自分もその隣に座る。
にしても蘭子のテンションのV字回復っぷりは半端ない。たった30分前まで、この世の終わりのような表情で教壇でうなだれていたのに。
「宙一おごっちゃるから」の一言で目をキラキラさせやがった。
準備満タンな蘭子は持参した髪留めゴムをカバンから取り出して、手慣れた感じで長い髪を一つにまとめはじめた。全然違う髪型を一瞬にして作り上げるこの行為は、女子の凄技の一つだと思う。
「早く注文しなよ。ラーメンは早さが命だよ」
その早さに注文する側も含まれているのは初耳だ。まぁもったいぶってもしょうがない。
「こってりと半チャーハンで」
「はいよ〜」
片手にチャーシューを持ったおっちゃんが、目を細めてにっこりしながら返事をする。このおっちゃんの愛嬌もこのお店の売りである。
残り少ないが、ここで宙下一品(堀之内店)の宣伝をしておこう。宙下一品は惑星大学地球周辺および、地球のみならず、宇宙全体に展開している超有名ラーメンチェーン店だ。巷では「宙一(ちゅういち)」の名で愛されている。この惑星大学地球のある堀之内にも5年前にオープンし、学生を中心に人気を博している。
おすすめは宇宙ラーメン(こってり味)だ。ブラックホールをイメージして作った極限まで濃縮されたスープは一度食べたら最後、もう逃れられない。
「はい、お待たせ〜。こってり二つと半チャーハンね」
とか言っているうちにラーメンできあがり。
「おっちゃん!私のラーメン出すの、こいつに合わせて伸びてないわよね」
「蘭ちゃんひどいな〜。早く注文した分、スープいつもより多めに濃縮しておいただけだよ〜。」
「よし!」
といって蘭子とおっちゃんは腕を交わした。どうやら伸びていたのはおっちゃんの語尾だけだそうだ。
「ずっ、ずー、ずるっ」
「にしても、あの院生、感じ悪かったわねー」
「ずるずるずる、ずー」
「蘭子が好戦的な言い方するからだろ。単位ほしくないのか」
「ずっ、ずー、ずるっ」
「だってあいつ、なんか偉そうだったんだもん。たまたま院試で勉強したことを思い出しただけなのに。私だって知ってたらこんな実験デザインしなかったわよ」
「それも含めてだろ。誰にも相談しないで急遽実験計画変えるからこういうことになるんだ。単位がもらえる保証が出ただけでもありがたいと思え」
発表後、院生と教授に実験計画を勝手に変更したことをこっぴとく叱られたが、レポートをちゃんと出せば単位をだす了承を得た。進級問題は無事解決。
許してくれた理由は「おもしろかったから」だそうだ。
「ん〜、にしてもあれ、トラウマになりそうだわ」
「あれって?」
「位置的価値(ポジショナルバリュー)よ。私、あれ聞くたびにうなだれそう。惑星発生学はやめて、惑星工学にしようかな〜。Planetの装置開発するやつ」
「そうか、もうどこの研究室にするとかも考えてんだな」
「まぁ、私はね。正史くんはしょうがないわよ。3年次転科だし。でもそろそろ考え始めたほうがいいよ」
うーん、順当に行くとバックグラウンドを活かせるから、俺も惑星工学なんだよな。情報畑出身だし。でもそれじゃあ何のために転科したのか‥
「ごちそうさまー!実習の話も終わり!」
蘭子は、店じゅうに轟くような大きな声をだしながら、丼をカウンターに置いた。
「食い終わるの早いな」
「早く帰って早くレポート書きあげたいからね。人生は短いんだから、嫌な時間はさっと終わらせて、次の楽しいこと向かわないと!」
蘭子にとって、今日の実習は嫌のことにカテゴライズされたらしい。自分はと言うと、いろいろ波乱はあったが面白かった。というのが率直な感想だ。
「私だけ先にお会計で〜」
「はいよ〜、蘭ちゃんはっと〜。‥あっ、蘭ちゃんラッキーだねぇ。今日はお代はいらないよ」
「どゆこと?」
と言って、蘭子はおっちゃんと自分を見た。
どういうことだ?俺はまだ蘭子のおごり分を払っていないぞ。
よく状況を理解していない2人を見て、おっちゃんはニヤニヤしながら蘭子の左側の貼紙を指差した。
そこにはこんな文句が描かれていた。
「毎月1日は位置的値段(ポジショナルバリュー)の日!1番席の方はタダ!」
今日何度目かのうなだれた蘭子は、髪留めがはずれ、カウンターの上で伸びきったラーメンみたくなっていた。
Planet Biology_人種依存的麺文化_⑨
蘭子は黒板の図を書き直しながら話した。
蘭子も自信がなくなってきたのか、黒板の主張にクエスチョンマークが書き加えられている。
「自分もそう思います。蘭子の仮説が見当違いだとは思えません」
思わず声を出した。しょげている蘭子を見ていたら、少し肩を持ってやりたくなったのだ。
「そう、そこなんですよ。大事な所は」
院生は答えながら、蘭子に板書に書き加えた。
「こうも完全否定される仮説に思えない。でも実際に形成されたのはラーメン文化でも、パスタ文化でもなく、『そうめん文化』だった」
「う〜ん、な〜んかあとちょっとで出てきそうなんだよね。どっかでこんな話を聞いたような‥。院試の勉強のときだったかなぁ‥」
院生がポクポクチーンしていると、後ろから声が聞こえた。
「…バリュー」
教授が何か言っているらしい。
「何言ってるんですかー。黒ちゃんよく聞こえなーい」
恐れ多くも先生をちゃんづけで呼びつける院生。研究室に入ったら、みんなこんな距離感なのだろうか。
「位置的価値(ポジショナルバリュー)」
今度は自分達まで聞こえる声で言った。が、自分には何の事だがわからない、蘭子の方に振り向いたが、彼女も首を振って、分からないジェスチャーをした。何だ?ファストフードのメニューの話だろうか。
教室のみんながこの後の教授の説明を待っているが、教授は一向に次の言葉を発しようとしない。
「あーっ。そうか。それならつじつまが合う!合うのか?」
院生が声を上げた。
「どういうことなんですか?」
自分は院生に質問した。
「詳しくは細胞生物学の教科書、『The Cell 第5版 第22章多細胞生物における発生 』に確か書いてあるから、そっちを後で見てもらいたいんだけど」
「つまりは、ニワトリの太モモを翼に移植したらカギ爪ができるってことなんだ」
「書いて説明したほうが早いな」
そう言って院生は何やら、生物学らしき模式図を書き始めた。
「俺も専門じゃないから、詳しくは生物学の博士号も持っている黒ちゃんに聞いてほしいんだけど‥」
「本実験の誤りは、文化形成の運命を『決定された(determined)』か『決定されていない(not determined)の』の2値で理解しようとした所なんだ」
「この概念が間違っているわけではないし、実験デザインによってはこれだけで説明できたかもしれない。ただ今回はそうはいかなかった。もう一つ不足していた概念があったんだ」
「それが『位置的価値(positional value)』の概念」
「教科書にも書いてあると思うんだけど『細胞は特定のタイプに分化するよう方向づけられるよりもはるか以前に位置による決定を受ける』という概念だ」
「ニワトリの肢と翼の発生で説明するね」
「左上に描いたピンクの絵が肢芽。将来、脚を作る組織」
「左下に描いた水色の絵が翼芽。将来、翼を作る組織」
「この二つの芽は最初は外見も同じで分化もしていない。ただ移植すると、全然似ていないということがわかる。肢芽から将来太モモになる領域の組織片を取り出し、翼芽に移植すると、移植片は翼の先端でも、太モモでもなく、指になるんだ。指は肢芽から作られる器官だ」
「つまり、移植した組織片は肢になる運命は方向づけられていたが、肢の特定部分になるまでは方向づけられていなくて、変更可能だったんだ」
「もちろんこの概念はPlanet Biologyにも拡げることができる」
「麺分化に詳しそうな蘭子さんに2つ質問したいんだけど‥」
院生は蘭子の方を向いて質問した。
「‥なんでしょうか」
「ラーメンの伝播ルートってどこらへんが起源なのかな?」
「よく言われているのは中国北部です」
「じゃあ、そうめんは?」
「そうめんはラーメンとは違う地域で、よく言われているのは中国南部です…ってあっ!あー‥」
何かに気づいた蘭子は頭を抱えて、教壇にうなだれた。
「蘭子さんは何か気づいたみたいだね。多分、僕と一緒の答えに行き着いたのだと思うんだけど‥説明する気力はなさそうだね」
「今回、ラーメン文化への分化能のみを有していると思っていた中国人達は、実はそうめん文化への分化能も有していた。つまり、ある種のいくつかの麺文化を形成するようには決定づけられていたが、ラーメンなどの特定の麺文化を形成する段階まではまだ方向づけられていなくて、変化しうる段階だったのだろう」
「で、ここから先は仮説なんだけど、移植した先の「南部」という合図に応答して、ラーメンではなく、そうめんを作りだしたんじゃないかな。ホントかどうかはわからないけど、暑いとこだしラーメンよりそうめんのほうがオールシーズン流行りそうだよね。まぁ、ここらへんの考察は10班の好きにしてくれ。お世辞じゃなく楽しみにしてるよ」
「はい。わかりました。」
1日ぶりに、ただの屍に戻った蘭子の代わりに自分が返事した。
しばらく復活しそうにないな。後でラーメンでもおごって励ましてやろう。
「黒ちゃん、最後に何かあります?」
院生はそう言って、黒川教授の方を向いた。
さすがに蘭子も顔を上げた。
表情を変えずに黒川教授は3つ言葉を発した。
「キレイで分かりやすい概念は役に立つ。すごく広まる」
「だだその下には何があるかを私たちは日々忘れてはいけない」
「Planet Biologistだとしても、Planet Biologyだけをしていてはいけない」
黒川先生は口を閉じ、元の真一文字の顔に戻った。
「‥はい。忘れないようにします」
絞りかすになった蘭子からは、最後のプライドを守るような言葉が返ってきた。
そんなズタボロな形で、自分と蘭子の初めての惑星生物学実習は終わったのだった。
Planet Biology_人種依存的麺文化_⑧
「そんな、だっておかしい。ありえない」
両手で口を覆いながら、何度も画面を見直す蘭子。ただ何度見ても黄色がかった麺ではなかった。
「うん、みんなさっきとは違う答えにいたったみたいだね。ただ答えを決めるのにはちょっと足りないかな。他のサンプルも観察してみようか」
そういって、店内の他の客、他の麺料理店、の丼にスライドしていった。同じ表示設定で、”麺料理“をクエリーとして投げて検索をかけたらしい。表示されたその映像には、上に乗っている具材は違えど、麺はどれも”そうめん”だった。
「どうやら、この街の麺料理はどれも同じ種類の麺を使っているみたいだね。ラーメンとは異なる」
「でもね、自分はこれでもまだ、一つの答えに至るには弱いと思うんだ。ちょっと季節を一つタイムスライドしていいかな」
「ど、どうぞう…」
ショックを受けている蘭子は絞り出すように院生に返答した。
院生は設定を「A.C.2000,Autumn」から「A.C.2000,Summer」に変え、Planetをタイムスライドさせた。Planetは1/4回転した所で止まり、画面には先程と同じ伊太利亜中華街が景色を変えて映しだされた。サンサンと照りつける太陽。ダイナマイトボディがギリギリまで露わになる店頭ガール。季節は一つ巻き戻り夏になった。
「じゃあさっきと同じ麺料理屋に入るよ」
院生はマニュアルモードで操作し、画面を店内へと移した。
厨房は前と変わらず湯気が立っていたが、テーブルの上の料理は明らかに違う様相を呈していた。秋にお客の前にあった麺丼は姿を消し、代わりにガラスの大皿が並んでいた。その上には白く透き通った麺が折りたたまれ、所々に溶けかけた氷が添えられている。大皿の前には透明感のある茶褐色のスープが入ったお猪口と、生姜、ミョウガ、青ネギなどの薬味が入った小鉢が置かれていた。
画面上の清涼感あふれる麺料理もまた、アレであった。
「冷たい‥そうめん」
蘭子はほうっとした顔で、画面上にある料理名を唱えた。
映像は他の客、他の麺料理店へとどんどん切り替わるが、どれもそれも、冷たいそうめんであった。
蘭子は映像を疑って何度も見直すのを諦め、ただただ自分が見落としていた結果を見つめた。
「これで最後にしようとおもうんだけど‥。これは、いま観察していてたまたま目に入ったんだけど」
院生はそう言うと、店頭の看板に画面が切り替わった。
2-0からのダメ押しからの3点目がゴールネットを揺らした。と同時に、自分は数分前の誤ったバイアスを思い出した。
《中華街に軒を連ねるお店にはどこも「麺」の文字が入った名前。単に中華街という訳ではなく、ラーメン店を中心とした中華街なのだろう。》
自分もいつの間にか蘭子の提唱するラーメン愛にほだされ、バイアスがかかっていたのだ。「麺」という字を見たら「拉麺」に自動変換されるほどに。
お店の看板には「素麺」の二文字が描かれていた。
他のお店を見ても、
「元祖素麺屋」
「素麺一番」
「チキン素麺」
「台湾素麺」
「素麺太郎」
「素麺二郎」
「素麺豚野郎」
「素麺大好き小池さん」
「素麺ズ~不思議な国のニポン~」
…etc.
と言った具合に、「拉麺」屋だと思って店はすべて「素麺」屋だったのだ。最後の方はなんかちょっと怪しいが。
「看板の結果は直接的には関係ないけど、これらの形態学的観察を持って判断するならラーメンというよりも『そうめん文化が形成された』というのが妥当なんじゃないかな」
そう言って院生は操作画面から頭をあげ、蘭子の方を見た。
「自分もまさか、ここまで違う側面が見えて来るとは‥、って驚いたよ」
「科学って恐いね」
その恐ろしさを身を持って体感しているのは間違い無く隣にいる蘭子であろう。次点で自分。
「で、でも‥」
視線を下に向け、声を震わせて蘭子は話し始めた。
「こんなことありえない。だって、この実験であり得る結果はこの2つしかないはずだもの‥」
Planet Biology_人種依存的麺文化_⑦
「はい。大丈夫です。正史くんお願い」
蘭子に促され、タイムスライドログから依頼されたシーンを選んで、タイムスライドした。画面には先ほども見せた伊太利亜中華街が映しだされた。
「えーっと、質問したいことというのは‥」
手を組み動かしながら、院生は視線を地域拡大コンソールから蘭子へ向けた。
「これって、本当にラーメンなんですか?」
「です」
彼がゆっくりとした調子で発した言葉は、
教室、
「!」
蘭子、
「!?」
自分、
「あっ」
にミリ秒単位で電撃を走らせた。
自分にいたっては、何かつっかえが取れたと同時に言葉が漏れた。
「どうゆうことかしら?」
蘭子は過剰に落ち着いた口調で院生に聞き返した。
「いやだって、まず何をもって『ラーメン』であるっていうの示してないよね。普通はそこを示してから、結果を見せて、本研究におけるところのラーメンが作られていますね」
「ってなるのが普通だと思うんだけど。まぁ、まだ実習生だしそこらへんは慣れてない所だからしょうがないんだけど」
と院生が話した所で、隣の蘭子が一変した。
顔の表情は変えずに保っているが、落ち着いた雰囲気の練度があがり、綺麗な髪が少し逆立つような振る舞いを見せている。プシーキャット。
高校から惑星生物学に浸かっていた蘭子のことだ、「慣れていない」という言葉が琴線に触れたのだろう。
「定義を言えとまでは言わないけど、蘭子さんは何がラーメンだと考えていて、これまで見せた結果のどこでそれを提示できたというのかな」
クラスメイトは蘭子の方を向き直した。蘭子はあまり間を置かずに話し始めた。
「はい。私はかん水を使ってできた黄色がかった麺と、スープからなる料理をラーメンとみなしております。そしてそのことは、地域拡大コンソールの中華料理店内の映像から、形態学的に判断いたしました。見逃していたら申し訳ないのですが」
少し攻撃的な言い回しで蘭子は返答した。
「それは粗くないかな」
院生もあまり間を置かずに答えた。
「と、申されましても、本実習で各班に配布されたPlanetは一つ。成分分析でかん水が含まれているか解析するのは手法として適切かと。まぁ、基礎惑研ほどの施設があれば別ですが‥」
基礎惑研ってなんだ?基礎惑研を知っているっぽい何人かのクラスメイトはクスクスと笑っている。
「ちがう」
「粗いって言ってるのは、どの手法を選択したかではない。粗いって言ってるのは、あなたが選択したその形態学的解析そのものだ」
蘭子の攻撃的な口調に呼応して、院生はさっきまでのオブラートに包んだ言い回しをやめた。
「たぶん今言われても自分の解析のどこが粗いのかはわからないと思う。けど、レポートを書く際の考察に関わる大事な所だから、結果ははっきりさせておきたい」
蘭子は怒るというか、この院生は何を言っているのだ?という表情を見せている。
「ちょっと借りるよ」
そう言うと院生は自分の近くにきて、Planetの表示設定を変え始めた。
「何がしたいのかしら」
ポカンとした表情で見守る蘭子。とクラスメイト。鋭い視線で院生の操作を見つめているのは、話が長くて再び船を漕いでいた教授。と自分だけだった。
「確信はないんだけど‥」
院生が設定を変えていくと、先ほども表示した店の映像が、湯気の立った丼へと、解像度を下げずにズームアップしていき、丼を真上から映しだした。先程と同様に湯気が丼を覆い隠していて色彩が不明瞭である。
「みんなに配ったPlanetの個数は少ないけど、ヴァージョン自体は最新の物を使ってるんだ。だから、組織学的、形態学的解析だけなら、最新のソフトで使われている設定を駆使して、相当微細な構造まで観察できるんだよ」
院生は独り言をつぶやきながら、「色彩明瞭」の設定をONにした。スープ、麺、具材の輪郭が表れ、色彩が付いた瞬間教室がざわついた。
「ざわ‥ざわ‥」
クラスメイトは一様に、明瞭になった丼を見ては隣の人と目を合わせている。
それもそのはず。画面に写しだされた丼には、京だし風の透き通った茶褐色のスープ、軟骨の入った鶏団子、三ツ葉が麺の上に添えられていた。
そして、具材が除けられあらわになったその下には、通常のラーメンより細く、また微かに透明感の残る白色の麺が折りたたまれていた。これは‥
「温かいそうめんだね〜」
女生徒が答えたその名が満場一致の答えだった。
そう、そうめんである。
蘭子がラーメンだと思っていたそれはラーメンではなく、そうめんであった。
Planet Biology_人種依存的麺文化_⑥
「今回私たちの班は『人種依存的麺文化発生機構の証明』を目的として実験を始めました」
「麺文化というのは、『人種』で決まるのか、それとも住んでいる『土地』で決まるのか、そのどちらなのかを明らかにしようという証明です」
「ちなみに私は、こと『ラーメン文化』に関しては人種依存的である、という確信めいた仮説を持って本実験に臨みました。そのことを証明するため、文化伝達媒体として中国人とイタリア人を用いて、民族交換移植実験を行いました」
「その結果どうなったかは、みなさま知っての通りかと思います」
「中国に移植したイタリア人(パスタ文化伝達媒体)はラーメン文化を形成し、
イタリアに移植した中国人(ラーメン文化伝達媒体)もラーメン文化を形成しました」
実験結果のまとめを描ききった蘭子はチョークを置き聴衆に体を向け直した。
「しかも後者の中国人においては、湯餅から始まるラーメン文化発生を忠実にたどるカタチでラーメン文化を形成しました」
「この遠く離れたイタリアの地で」
蘭子はその一言を、教壇の縁を両手でつかみながら語気を強めて話した。
一呼吸置き、まわりが少し静まり帰ったことを確認した後、蘭子は話を再開した。
「これらの結果から、私たちがこよなく愛するラーメンは『人種依存的麺文化』であること、パスタは人種『非』依存的麺文化であること、を示すことができました」
教壇を掴む手に力が入り、蘭子の細く白い手に血管がうかぶ。
「つまり!」
「最初に話したとおり、ラーメン文化はっ、ゲノムに刻まれていて、その発生過程は、『土地』という環境要因に左右されずどこの世界どこの国においても再現する」
「そういった文化である。ということ」
「です!」
「(こんな感じかな)」
緩んだ顔でこちらに振り向いて、小さく声をかけてきた。
「これにて10班の発表を終わります。ご静聴ありがとうございました」
蘭子は深々とお辞儀をした。自分も蘭子につられるように頭を下げた。
「ぱちぱちぱちぱち」
クラスメイトの拍手は他の班より大きかった。それだけ、自分たちの班の発表を評価してもらえたということなのだろう。
心配していた進級問題もこれで回避できそうだ。
「あまり時間はないですが、何か質問ある人いますか?」
蘭子が教室を見回すが、手を挙げている人はいない。ツッコミどころがない、すっきりした結果ということだろうか。正直、自分も質問側の立場だとしたら、何を聞いたらいいのかノーアイデアだ。さっきまでは何か気になっていることがあったのだが。
「じゃあ残り時間、考察を述べさせてもらうわ」
といって蘭子は眼を星型にキラキラさせながら話し始めた。
「今回の実験結果は何もラーメン愛の再確認だけでないの」
「今後はこのPlanet Biologyで明らかにした所からさらに、分子生物学のレベルまで踏み込んで、ラーメン文化発生に関わる遺伝子を同定し、このPlanet上の全民族にその遺伝子を強制発現させるわ」
「そして世界はラーメン愛に包まれるの」
「どこに行ってもラーメン文化があり、ラーメンが食える。地球だけにとどまらず、惑星移植耐性の強い民族を使って、火星でも、金星でもラーメン文化を作り上げてみせるわ。そう、全惑星ラーメン補完計画に向けての…」
「あのっ、ちょっといい?」
蘭子の宇宙規模のラーメン補完計画トリップを遮るように、教室前方左側、入り口近くから声と手が上がった。本実習のチューターである院生だ。
「どうぞ。何かし」
「最後から2番目にタイムスライドしたやつ出してもらってもいいかな?」
堂々とした態度を崩さない蘭子に対して、院生は食い気味で話してきた。
「A.C.2000の伊太利亜中華街のやつ」
Planet Biology_人種依存的麺文化_⑤
画面が地球全体から南イタリアへとズームアップしていくと、既視感のある街並みが目に入った。赤を基調とした建築物、笛の音を中心としたBGM、スリットの入った民族服を着て蒸し器から肉まんを取り出す売り子。民族服に無理やり押し込んだ欧米特有の凹凸のあるボディはとても不自然だが、これはこれで良い。
ここまで来ると、蘭子が移植した中国人たちがイタリアの地で何を成し遂げたのか、だいたいわかった。これは完全に…
「中華街だね〜」
同級生女子が呟いた。
街の入り口には「伊太利亜中華街」の看板がゲートにでかでかと飾られている。
季節は先程観察したのと同じ秋。太陽が照りつける季節は終わり、肌寒い風が吹き始めていた。
「正解!麺文化を失わずに保存するどころか、レガシーまで残しちゃったみたいね。この中華街をつくったのが移植した彼らなのか、その子孫なのかはわからないけど」
満足げな顔で蘭子は返答した。
いい顔をした蘭子を見て同級生女子がサムズアップ。蘭子もそれに応じてサムズアップ。
中華街に軒を連ねるお店にはどこも「麺」の文字が入った名前。単に中華街という訳ではなく、ラーメン店を中心とした中華街なのだろう。
「もうこの通りを見れば結果は充分わかると思うのだけど、いちおう最後にお店の中も見て見ましょうか」
と言い蘭子は、特定地域拡大コンソールの設定をオートマチックからマニュアルに切替えた。とあるお店にポインタを合わせクリック。画面が切り替わり、店内が映し出された。
湯気が立ち上る調理場、カウンタータイプの席、そしてお客さん達の目の前にもう一つの湯気、不規則なリズムで聞こえるあの音。
「ずっ、ずー、ずるっ。ずるずる」
音を立てて丼から麺を吸い上げる様は、とてもイタリアの光景には思えない。そしてその感想は移植実験の大成功を示していた。
「麺をすするという欧米にはない文化まで根付くなんて‥、ここまで完璧だと創造主にでもなったみたい。さしずめラーメン神と言ったとこかしら」
うれしそうに感想語る蘭子。その蘭子の口上にテロされたのか、教室の生徒はみな、画面に映るラーメンに羨望の眼差しを向けている。
みんなも腹減ってきたよな。
かくいう自分も空腹中枢が刺激され、両眼は自然と画面に映るラーメンへと吸い込まれていった。
うまそうだな。何味なんだろう。チャーシューはのって‥ないな。代わりに、肉団子?っぽいものがのってるのかな?スープは薄い茶色、醤油ラーメンかな。ダシつゆっぽくも見えるが。麺は‥細麺かな?湯気と店内全体を映すカメラワークのせいで細かくはわからないが、普通の麺とはちょっと違うように見えた。薄黄色ではなく、白色のような‥
-ブチっ-
突然画面が閉じた。
「はいっ、終了〜。ラーメン側の移植結果は示せたし、もう発表時間もないのでこのへんでいいよね」
蘭子はPlanetを操作しながら、不平不満を言う生徒がいないか見回した。
「みんな早く帰ってどこかに行きたそうな顔してるしね。早く終わらせないと」
不平ではなくラーメン欲が教室に充満していた。さすがはラーメン神。民の食欲までコントロールするとは。
「では最後にパスタ側、中国に移植したイタリア人の結果を確認してみましょう」
Planetが半周し、今度は同年代の中国にコンソールがセットされ、移植地にズームアップした。
街並みや風景は中国そのもので、イタリアめいた建築物は全くない。移植したイタリア人達の血が混じっているのか、鼻筋の立った洋風な顔立ちの人が所々見られるが、中国人たちのように何かレガシーを残している様子はみられなかった。街の定食屋も映しだされたが、そこに映されているのはラーメンや水餃子といった、その土地由来の料理だった。パスタのパの字もなかった。
「やっぱりパスタ文化は根付かなかったわね。期待はしてなかったけど。まぁ、色々と条件を変えたら、100回に1回くらいは根付くかもね」
100回に1回程度ではパスタ文化が人種依存的とは言えない。要はパスタ文化は人種非依存的であると、蘭子は言いたいのだ。
「では、そろそろ発表をまとめます」
蘭子は話しながら、黒板に今回の実験結果のまとめを描き始めた。