【小説】夢の海 第1話
※本作は小説「アクト・オブ・ボディ」のスピンオフ作品になります。内容は「アクト・オブ・ボディ」を読んでいる前提で書いておりますので、まだの方は先にそちらを読まれることをオススメします。
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夢の海 第1話
私は一夫と鹿島の海へ向けてドライブしていた。
それは彼との久々のデートだった。
「もう体はだいじょうぶなの?」
「だいじょうぶだよ。それより聡美は運転だいじょうぶ?東京からずっとここまで運転だけど疲れていない?」
「大丈夫。ずっと真っ直ぐだから」
三月のどこまでも透き通った青空を灰色のスポーツカーが切り裂いていった。サイドウインドウを開けると青空の断片が頬を引っ掻き、海風の冷たさを予告なしに教えてくれた。
車内は少しタバコ臭かった。言い訳するとこの車は私のではなく、親父の車だ。普段から親父が車でタバコを吸っているせいか臭いが染み付いており、染み付いている車に私も慣れ親しんでいた。それでも他人の視線を感じると私でもこの臭いはちょっと気になる。
一夫は気にしないと言ってたが、親父が吸っているタバコの銘柄まで当ててきた。これは私がタバコを吸い始めたことがバレるのも時間の問題だ。
「高速も今走ってる海沿いの道もずっとまっすぐだね。こういう道なら俺でも運転できるのかもなぁ」
「そうね」
「まあけどドライブに関しては聡美の方が上手だし、聡美に任せたほうがいい。うん、ぜったいそうだ」
一夫は運転が上手うんぬんの前に人に主導権を握られるのが好きなのだ。
付き合い始めの頃は私のほうがなんでも決める人という認識だったが、最近それは違うとわかった。主導権を握っているのではなく握らされているのだ。運転しているのではなく、運転させられているのだ。見方によっては手のひらの上で転がされているとも言えるかもしれない。
「一夫、なんか音楽流してよ」
私は左手でカーナビゲーションを指差した。
「いいぜ」
一夫はぱっぱとスマホとカーナビを接続し音楽を選曲しはじめた。その間にサイドウインドウを閉じて海風の音を遮断した。
さっきまで登り坂だった道は緩い峠を越え下りはじめ、フロントウインドウに太平洋が拡がった。
「流すね」
一夫はスタートボタンを押すと音量ボタンを連打した。
窓を閉めたんだから音量上げなくても聞こえるよと言おう思ったがやめた。
カーラジオから音楽が鳴り始めた。軽快なトランペット音とクラップ音とチャカポコ音が何度となく繰り返される。
「-なんどとなく夢の海を一人 ただよってた 目に映るものは過ぎ去りしの君の笑顔-」
男性の低くも明るい声が、軽快なビッグバンドの伴奏とともに流れ始めた。ときおり女性のコーラスも入っており、アニメやバラエティ番組のエンディングにも使えそうな軽快な音楽だけど歌詞はどこか、九月や三月の晴れ晴れとした寂しさを感じる歌だった。
「---」
「---」
「---」
曲が終わった。八分半もある長い曲だった。次の曲はかからなかった。
「ねぇ、これなんて曲?」
「JAGATARAの、夢の海」
「ふーん」
「いいよねぇ〜。JAGATARA」
「いや、そんな言われても世代じゃないし、初めて聴いたから知らないし」
一夫の方がいちよう年上とはいえ数個しか違わない。どちらかというとこれはマニア度の差だ。私はカウントダウンTVの上位に来る曲しか聞かない。JPOPか洋楽の有名曲しか知らない。一夫はこういうアングラな音楽をよく聴いているが私にはよくわからない。
だがこうやって一夫が選んだ曲をドライブする度に聞いていたら、JAGATARAを良いバンドと思うくらいに私は洗脳されてしまったのだ。
「まぁ、いいバンドなんじゃない」
「俺の布教のおかげかな」
「洗脳だって」
道路上の青い看板はときおりあと何kmかを示すが、ところどころ剥げていたり茶色く錆びていたりしていた。もうすぐ着くのかどうか情報を得るのは難しかった。
「聡美はこの曲のどこらへんが好き?」
一夫はJAGATARAの話を続けた。
「うーん、明るい感じのとこ?海沿いのドライブに合う感じ」
「わかってんじゃん、タイトルも夢の海だしな」
「歌詞は、歌詞はどうよ」
「歌詞ぃ?歌詞なんか1回聴いただけじゃ覚えらんないよ」
一夫はニヤニヤしている。見なくてもわかる。
「あー、最後のほうの『-とびだそう 手を上げて 君と行ったあの丘へ-』のとこ」
聡美は掠れた高い声で歌った。
「なるほどね〜」
「ん〜じゃあ、一夫は?」
あっ、しまった。オタクに語らせると長くなるやつじゃん。
「俺はね〜〜、
『-なんどとなく夢の海を一人 ただよってた 目に映るものは過ぎ去りしの君の笑顔-』
のとこと
『-荒れ果てた楽園を あとにして今 ゆらゆらと揺れる街並みは 欲望をつめこんで-』
のとこと
『-夜が明けたらきっと 君を迎えにいくから その日まで待ってておくれ いつものあの場所で-』
のとこと、なにげない……」
一夫は男性ボーカルとよく似た声で歌った。
「ちょいちょい、何フルコーラスで歌おうとしてんの」
一夫のジャイアンリサイタルが二番に入りそうだったのでさすがに止めた。
「聞けば聞くほどいいんだよねぇ……。でも一番好きなフレーズは……」
「チッカ、チッカ」
車は左折し、駐車場へ入っていった。
「着いたよ。海沿いの公園」
一夫リサイタルが再開する前に目的地に到着した。
(続く)